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料理が語る歴史のひとこま

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 フランス料理の背骨を形成する根幹は常に揺るぎない。なぜなら20世紀初頭、現代フランス料理の基礎を築いたグラン・シェフ、オーギュスト・エスコフィエが背後に控えているからだ。1970年代に「エスコフィエの終焉!」と叫んだヌーヴェル・キュイジーヌでさえ、折に触れて矛盾しながらも「エスコフィエに帰れ!」というスローガンを掲げていた。フランス料理が混乱すると原点のエスコフィエに回帰するのである。
 エスコフィエがセザール・リッツと知り合ったのは、モンテカルロの「グラントテル」で働いていた時代だ。その幸運な出会が端緒となり、2人はロンドンの「サヴォイ・ホテル」と「カールトン・ホテル」、パリの「ホテル・リッツ」などで共に働き、調理場を一手に引き受けたエスコフィエの名声はいやが上にも高まった。世界中にその名を知られ、フランス料理の神様とまで賞賛される。
 19世紀から20世紀にかけて、都会人は自動車の普及に見られるようにスピーディな生活を求められ、社会が劇的に変化したのである。機械文明が進み、蝋燭やガス灯に替わり電気照明が出現し、食卓を飾る華麗なテーブルウエアに目を見張ると同時に食習慣に変化が生じ、食事に割く時間が限られるようになる。
 ところが、20世紀初頭のエスコフィエのメニューを見ると、ポタージュ1皿か2皿、冷製または温製のオードブル、魚料理1皿、アントレ2種類、ロースト1皿、冷製料理1皿、サラダ、野菜料理1皿か2皿、冷製または温製の甘いアントルメ2皿、各種のデザートと料理数は相変わらず多い。それでも、一昔前に比べれば、モダン社会に相応しい斬新なメニューが誕生したのである。そして時あたかも19世紀後半から「フランス式サービス」に変わり、メニューの順番通りに1皿ごとに料理が運ばれてくる、現在の「ロシア式サービス」が普及する。エスコフィエは「フランス式サービス」から「ロシア式サービス」の転換点に生きた料理人である。
 アントン・カレームによる複雑な調理法や豊富な材料を使った料理を否定したエスコフィエは、フランス社会の産業化に歩調を合わせるように料理の簡素化を目指した。素材の持つ風味や栄養価を考慮しながら、都会人の胃に負担のかからない調理法を確立し、調理の時にフュメなどを尊重した。またカレームが唱えた壮麗な建築的料理についての考え方を排除し、盛り付けに関しても洗練された簡潔な手法を採用した。
 私たちは今、アペリティフを飲みながらゆっくり時間をかけてメニューを検討し、いろいろな料理の組み合わせを考え、美味しい味を想像する愉しさを味わっているが、そうした食卓の快楽を予見し、フランス料理の民主化と大衆化の時代が到来することを予感したのがエスコフィエだ。フランス料理の金字塔を打ち立てた偉大な料理人である。
 一方、彼は料理人の社会的地位の向上に奔走したことでも知られる。戦前、渡仏した日本の料理人でエスコフィエに会ったのは、「天皇の料理番」秋山徳蔵や帝国ホテル料理長・石渡文次郎などだが、「コック四九で野垂れ死に/ボーイ百までテーブル乞食」という戯れ歌が流行り、老後の保障など考えられない後進国から渡仏した彼らは、フランスの料理人の社会的地位の高さに仰天したことだろう。  



宇田川 悟●作家
1947年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。フランスの社会・文化・食文化に詳しい。ブルゴーニュワインの騎士団、シャンパーニュ騎士団、コマンドリー・ド・ボルドー、フランスチーズ鑑評騎士の会などに叙任。著書に、『食はフランスに在り』(小学館ライブラリー)、『ヨーロッパワインの旅』(ちくま文庫)、『フランス美味の職人たち』(新潮社)、『フレンチの達人たち』(幻冬舎文庫)、『VANストーリーズー石津謙介とアイビーの時代』(集英社新書)、『吉本隆明「食」を語る』(朝日文庫)、『書斎の達人』(河出書房新社)、『超シャンパン入門』『東京フレンチ興亡史-日本の西洋料理を支えた料理人たち』(共に角川oneテーマ21)など多数。訳書に、『旅人たちの食卓-近世ヨーロッパ美食紀行』『フランス料理と美食文学』(共に平凡社)ほか。


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